2025年8月22日金曜日

OMORIの凄いと思う点(「OMORI」ネタバレあり)

僕は「OMORI」というゲームが好きだ。

初めてゲームトレイラーを見たときは「ゆめにっきみたいな感じかなー。」と思ったくらいで、そこまで気にしていなかった。

ただ、steamの評価が圧倒的に好評を維持していたことと、丁度時間が出来た時だったのもありプレイすることにした。

結果、一気にクリアしてしまうほど面白かった。

進めれば進めるほど引き込まれるストーリー、ドットで美しく描き込まれたビジュアル、ウィットの効いたシステムや各イベント、個性的で愛すべきキャラクター達、そしてそれらを彩る楽曲群。

当初想像していた「ゆめにっきっぽいゲーム」ではなく、このゲームでしか得られない栄養が多分に含まれていた。

以上のように大変面白かったが、このゲームはプレイする人の覚悟を試しにきている感じもした。

以下、僕が思った内容ですが、プレイした前提の話になるので未プレイの方は分からないかも。



このゲームはマルチエンドになっているが、主に2つのエンディングが対比的に存在している。

一つは全ての秘密を持ったまま主人公が飛び降り自殺する結末。もう一つは全ての秘密を打ち明けてから当初の予定通り引っ越すエンディング。(おそらくこちらがグッドエンド)

それぞれ、歌詞付きのテーマソングが設定されているが、非常に象徴的なものになっている。

簡単に言えば自殺エンドで流れる曲では、「眠いからおやすみなさい」という歌詞、グッドエンドでは「眠いけど目を覚まさなきゃ」という歌詞の内容である。


このゲームでは、夢と現実世界を行き来しながら、かつての主人公の「罪」に向き合うこととなる。”夢”の中では、主人公達とその友人、死んだはずの姉は仲良く楽しく過ごしている。しかも夢の中での冒険は皆の一致団結を促し続け、ある程度進めていくとすっかり仲間と意気投合しているといった感じである

主人公の持つ”罪”を隠し続ける限りはこの”夢”は維持されていく。

そしてある時、プレイヤーは”夢”を見続けて平和な代わり映えのない安定的な世界に居続けるか、未来の不確かな道へ踏み出すかの選択をさせられる事になる。


もちろんプレイヤーは色々エンディングを経由するかもしれないが、最終的にグッドエンドを選択するとは思う。ここで自身の罪(過失で姉を殺してしまい、友人と共にその事実を隠蔽した事)を友人たちに打ち明けた後、友人達がどのような反応をしたのかは作中で示されていない。

可能性として友人関係が破綻してしまうか、非常にギクシャクしたものになるだろうという事は十分ありうる。それほどまでに主人公が行ったこの罪は、友人間において重い事である。

しかし、グッドエンドでは重苦しい曲が流れること無く、「夢から覚めて先に進まないと」という歌詞が歌われている。

つまり、このゲームのグッドエンドではプレイヤーに「これまで共に戦ってきた友人との関係が破綻してしまうかもしれないけど、それでも主人公の決断を尊重出来るか」という事を突きつけているのだと思う。

罪を隠すことで維持されていた夢を破壊し、新たな道を進む事。このゲームの主人公は「物言わぬ主人公」であるが故にプレイヤーに選択をゆだねている。故に感情移入しやすく設定されているため、この決断を容易には受け入れられないと思う。(だからこそ、「その後も友人関係は維持されるはずだ」と考えたりも、もちろん出来る。ていうか、そうだったらなと思う・・・。)

ただ、グッドエンドの歌詞が示すように、「オモリ=サニーが”夢”の中でしか成立しない友人関係から離れ、未来に生きること」を本当に応援する覚悟があるのか、プレイヤーは「OMORI」に試されている。

正直、僕はこの夢から覚めたくないと思っちゃったけど。


それでもやっぱり、決断を下したサニーを応援したい。

そう心から思えた時、プレイヤーにとっての「OMORI」の真のエンディングを迎えられるのだろう。

2025年8月15日金曜日

RiJ2025Summer面白かった

 今年の夏も、見れる限りRiJを見ていた。

任天堂タイトルが出なかった影響というのもそこまで感じず、インディーズゲームが沢山見れたので満足。本当にわずかばかりだけど、募金も出来た。

それにしても、ここまで沢山の人間ドラマが見れるイベントは凄い。特にルミネスの一発通しでクリアした時の絞り出すような歓喜の声は涙腺に来た。

テトリスはもはや見ている側すら置いていくようなとんでもない領域に来ていて、人間の進歩とは・・・みたいなこと考えて感動していた。

ホラー枠は相変わらずの芸人枠となっていて面白い。バービーは狂気枠で面白い。

それぞれのゲームでそれぞれ感情が動いているけど、なかなか言葉にならないので今のところはこんな感じ。全てが全て良いし格好良い。

プレイヤーさんも解説者さんも工夫を凝らして、また楽しくする努力をしているのが伝わってくる。RTAイベントを見始めてまだ数年程度なので浅い知識しか無いけど、今後もイベントがあればなるべく現地で見ようと思う。やっぱり現地の空気は抜群に楽しい。

あと、個人的にスタートがカップヘッドDLC300%のカテゴリーエクステンションというクソムズジャンルなのが最高にイカス構成だと思う。爽快感のあるRTAかつゲキムズなのをスカッと解説しながらクリアしてしまうところがカッコよくて、もう既に「あ、これはもうイベント成功したわ・・・」と感動していた。


こう読み返してみると、なにかに付けて感動しているのは加齢で涙腺が弱っているんだろうか・・・。

何にせよ、次回こそは現地に見に行こう。

たまらんも次回こそはグッズを現地で買って観戦しよう。

2025年8月13日水曜日

躁鬱

 ここ最近は気分の揺り戻しがなかなかニュートラルに入らずに極端な落ち込みと苛立ちを繰り返していて困っている。

数年前から最近まで特にひどい時期が続いていた頃はより酷い振れ幅があり、それから比べれば頻度は落ち着いてきているが、相変わらず安定には程遠い。

若い頃に人間関係で辛い日々を送っていたからか人間不信がひどく、人と話せるようになった今でもまだその考え方は根底に残ったままになっている。

年齢を重ねてようやく克服したかと思いきや、未熟さは残ったままになっているのに毎度気付くと落ち込み、反転して苛立つを繰り返している。

自分自身ありのままでいいという安心感を持てないまま過ごしている現状では、この症状の寛解は程遠いのだろう。


ふと、大きな躓きをしなかったらどんな人間になっていただろうと想像することがある。

今のように物事を無駄に考えずに、あれこれ行動出来る人間になっていただろうか。

2025年7月31日木曜日

お金のかからない趣味って

 ふと、お金のかからない趣味ってなんだろうと思い巡らす。

・カメラ→沼。大沼らしい(twitterとかで見てる限りは)

・登山→沼かも。テントとか宿泊しだすと色々増えだす。

・服→大沼。

・メガネ→そこそこ沼。ビンテージとかに凝りだすとオワ。

・読書→言うほど・・・いや、まあまあかかる。絶版本は国会図書館にもあるけど、読みたい時に行くのは骨が折れるし、、、。

・散歩→お金かからなそう。


散歩でお金かかるとしたらなんだろう。交通費くらい?

ただ、単体で成り立つ可能性が低そうなので、何か別の趣味と一緒になりそう。

例えばカフェ巡り。古書店巡り。古着屋巡り。名所巡り。グルメ。やっぱり沼では?


・筋トレ→ジム代以外にサプリとかウェアとかくらいしかかからない?ただ、筋肉の維持は理由を探し出すとモチベ維持が大変そう。


筋トレかぁ・・・。

2025年7月29日火曜日

メガネが欲しい

 メガネブームが来てる。

別にかけたところでそこまで印象が変わるわけでもないのに、なんとなく気になってしまい、仕事の空いた時間にメガネの事を調べたりしている。

一通りYOUTUBEの動画もブログなんかの紹介記事も読み終わってしまった。

後は買うだけなんだろうが、一本50,000円となるとそうそう手が出せない。

個人的には黒縁メガネは相当数を持っているので、べっ甲風メガネにカラーレンズを入れてみたい気分。

黒縁の細フレームも気になっている。



それぞれの沼は深い・・・

2025年7月28日月曜日

TIKTOK批判と「老害」論

 以前、ツイッターで"「TikTok」でとある本が紹介されていたが、そんなずさんな方法で紹介されてもなぁ・・・"みたいな感じで糾弾したことに対して炎上していた事があった。


個人的には、どんな事においても母数が大切だと考えている。母数が増えれば自然と競争が生まれ、そこから選ばれる現象が起きる。

もちろん文学でもそれは同じで、大勢が各自でより良いと思う表現を目指すことで多様性が生まれ、その中からその時代にフィットしたものが多く残るという構図は変わらないと思う。

ここで注意しなければならないのは、「時代にフィット」したものが選ばれるわけで、特定の価値観においては素晴らしいとされる作品は主流にはなれない可能性はある。

ただ、母数が十分にあればそれを発掘して見つける人はいる。どんな作品でも賛否両論であれ低評価であれ、一部のファンは存在することになる。全員がダメと言うケースはそうそう無い。

要は「特定の価値観において優れた作品」が発見されるには、投げかければ返ってくる環境を作る必要がある。其の為にまず母数を増やす事が重要である。たとえ一時的であれ1000人の読者が増えれば1~2人くらいは最低でも残るだろう。こうした積み重ねがジャンルの裾野を広げ、文化としての定着に繋がる。この点においてTIKTOKでバズって売れるという事は前提条件として考えられるほど重要である。


逆に、糾弾した人を「老害」と除けるのも違う。それらの批判はあくまで変化の為に必要な壁でもある。言葉は悪いが「老害」は「害」ではなく、生き残れる変化に至るための"壁"として重要である。

例えば、企業において「旧態依然のままではいけない!」と若い社員が上司にあれこれ提案する。しかし、上司は頑なで簡単にはその提案は通らない。老害が邪魔で変われない!上司は悪だ!みたいな話はよく語られている。

確かに変化させることを拒むというのはそれだけでも悪だと言われる事が多い。大体の物語の主人公は変革の為に動いてるわけだし、それらが正義として語られる場面が大半でしょ、と。

ただ、その上司による精査を突破できないようではそもそも上手くいかない、というケースは多いのではないか。

その分野に関して経験を持っている、知識を持っている。そんな人々が反対・批判する理由があるのであれば、その意見は無下にするべきではない。全ての反対・批判に対して考慮すべき、ということではないけど、大半は少なからず何かしらの含蓄がある可能性は高い。

むしろこのような"壁"がなければ変化は弱いものとなり、すぐに消滅してしまうかもしれない。変化する為にはそれなりの強度を持ち、その環境に存在する障害を跳ね除けて生存しなければならない。

そんなわけで、TIKTOKでバズった事も正しいし、それを批判したことも正しい。それらの相互作用がより強く生き残るバリエーションを生む源泉になっているのだろう。


ちなみに、最近また戦後の私小説(尾崎一雄、上林暁とか)をよく読んでるんですが、一時期バチクソに批判されていて、最近割と再評価の流れが来てるみたいで、今後も作家さんが増えたらなぁと思う次第です。

2025年7月27日日曜日

古着の話

 ここ数年、古着にハマってる。

元々はユニクロや無印以外の服を買おうと思った時に、現行ブランドだと高い上にサイズが合わない物が多く、どうしようか考えていたら古着屋のオンラインショップに行き当たり、高校ぐらいの時に行ったきりだったのでどんなもんかと久々に行ったら楽しかったのが始まりだった。

当時、古着ブームで原宿の人気ショップ(Hanjiroとか)は行列が出来ていて、店内も大混雑でマトモに買い物が出来ないような状況だった。

仕方なく地元近くの小さいショップに行くと、状態の悪い古着なのに高いし、サイズ感がおかしいのにめちゃめちゃ推してくるしであまり良い印象が無かったので次第に行かなくなった。


今はある程度服が似合うかの判断が出来て、古着屋に行って押せ押せの接客をされても気にせずノーと言えるようになったのもあり、なかなか楽しめている。


中でもユーロ系が好みで、よく行く店舗でサイズが合うとつい買ってしまう。特にイタリアのものは他の国と比べてサイズが小さめで着れるのが多い気がする。


OMORIの凄いと思う点(「OMORI」ネタバレあり)

僕は「OMORI」というゲームが好きだ。 初めてゲームトレイラーを見たときは「ゆめにっきみたいな感じかなー。」と思ったくらいで、そこまで気にしていなかった。 ただ、steamの評価が圧倒的に好評を維持していたことと、丁度時間が出来た時だったのもありプレイすることにした。 結果、一...