2026年8月2日日曜日

清掃業務休憩室にて

 職場の袴田さんが辞めるらしい、と同じくパートの年配の方から聞いた。

御年75を超える袴田さんは以前から腰が痛いと言って清掃業務中でも小休止を取りがちだったので、気になってはいたけど急な話だなと思った。

先日も少し離れたオフィスビルの一角の清掃に行くのに、しばらく歩いてはフェンスに座り込んだりして休憩を取っていて、夏場だし年齢も考えると仕方ないよな、と思っていた。

でも清掃業務はきっちりこなしていたし、少し休憩が増えた所で余裕はたっぷりあったから問題ではなかった。

オフィスビルの除草やゴミ拾いが終わって帰ろうとしたら袴田さんは「私はゆっくり行くから」と言ってゆっくり歩き出した。

「いえ、僕もついてきますよ」

「ううん、大丈夫だから。」足を擦りながら言った。

「足と腰がね。手術でボルト入れてるから。膝に。」

ふぅと息を吐くと

「早く歩けなくて、困っちゃうわよね。」

僕は「そうだったんですか」と続け、少しそこで話をして、申し訳ないが先に行くことにした。

そこで待つことで余計に気を使わせそうだと思ったからだ。

神社へ向かう参道が帰り道になっている。僕は時々後ろを振り返り、袴田さんが見える限りは確認しながら歩いた。

袴田さんは道端に積まれた石垣に腰を下ろして、向かい側を見ている。

この暑さだから、熱中症には気をつけたほうがいいよな。

そう思いつつ、わざわざ言うことでも無いので僕はそのまま職場へ向かう為に十字路を曲がった。


そもそも清掃業自体、自分よりも年上の人しか居ないし、80代の人がリーダーのような形で取り仕切っている現場で平均年齢もそれなりに高い。

話せば体のどこかには不調なところがあって、休憩中は病気とか病院とか寝れないだとか、そんな話が飛び交っている。

そんな面々だから、度々急病で休みとかがあった。でも人員がそれなりにいるので負担はほとんどなく、「ああ、それぐらいなら」と、追加される業務にもすぐに慣れていった。

休憩時間になると、僕は部屋の隅っこで文庫本の「善の研究」を読んで、たまに聞き耳を立てて周りの話を追っていたりもした。

時々、ゴシップの話をしている時は、グッと喉に力が入る気がして、そのまま本に意識を無理に持っていこうとする。そんな時は大抵、頭の中に泡立つように言葉が浮かんでくる。それは確かな話なんですか。現実的じゃない気がします。噂程度で決めつけるのは違うと思います。

ふぅ、と息を小さく吐いて、頭の中の声が落ち着くように本に目線を移した。

娯楽なんだ、これは。と繰り返し考える。


鷹野さんがスマホを持ちながらシフト表を覗く。

「大塚さんて辞めたの?」

あまり興味が無さそうな、相変わらず感情の入っていない声で話す。

そういえば、先月パートで入った大塚さんは若かった。僕より2~3歳上だったと聞いた。平均年齢から考えれば十分若手だ。一生懸命、袴田さんの後について仕事を学ぼうとしていた。相槌の「はいっ」が極力気を使ったようなこぢんまりした発音だったのを覚えている。

2回ほど午前中の業務で見かけたが、それから見なくなった。

木崎さんがふん、と鼻息をすると「いや、別の部署に行ったらしいよ。別のビルの。」と答えた。

楠木さんも話に乗っかってきていた。

「仕事が合わんかったんじゃない?ちょっとさ、気が弱いっちゅうかね。」

「ああ、へえ。」

相変わらず横でアルバイト同士が話してるのを聞きながら、目線は本に落としている。

「袴田さんとか、山野井さんがかわいがってたのにね。」

僕は現場での大塚さんは見ていないが、掃除用具倉庫の準備中に所在なさげな感じだけは伝わってきていて、

どこかで長続きしない予感がしていた。


会話が2~3週すると、いつのまにか話題はメジャーリーグの話になっていった。

「瀬谷くんは、野球とか見ないの?」

突然話が振られた。僕は本から木崎さんに目を向ける。

「ええと、たまにyoutubeとかで昔の選手の動画とかは見ますね。上原とか松坂とか。」

「世代だったよな、そういや。」

実際は世代ではないが、そうですねぇ、と微笑んで返事をする。

「でも、テレビが部屋に無いので今のニュースには疎いんですよ」

「テレビが無いの?暇じゃない?」

テレビを見てると不安になる、なんて言えないので「youtubeで事足りちゃってますね」と自嘲気味に笑ってみせた。

「へぇ~・・・俺らのころは・・・今もそうなんだけど、テレビはずっと流してんなァ。ずっと。」

驚いてる木崎さんに話しかける。

「まあ、そうですね。youtubeも飽きてきてはいるんで・・・あった方がいいかもですね。」

「そうだよなぁ。やっぱりねぇ。」

木崎さんは満足げに話すと、元のメンツでの会話に話を戻していった。

僕は、本に目線を戻したが、どこまで読んだかがすぐにわからなくて、数ページ戻したり、先を読んでみたりしつつ休憩時間を過ごした。



昼前の清掃が始まり、各種ホワイトボードに振り分けられた場所へ清掃用具を持って散っていった。

僕は休憩室がある廊下とトイレの清掃をする。短時間なので、そこまで大変なことはない。30分くらいで終わらせて、あとは時間を潰せる業務を探す。

廊下を付け替え式モップで拭いていく。ぐるっと1週したら、今度は拭ききれない真ん中から拭き始める。

途中に、小さな黒い筋汚れが見えた。ヒールマークといって、靴の底をこすったり、運搬かご用のゴムタイヤによって床に付くことがある。

僕はモップでこすり、落ちないのを確認すると先の方の清掃を続けた。

一通り拭き終わって、モップのクロス部分を取り外して見てみると、結構なホコリがべったりとついていた。腰に巻き付けてあるウェストバッグに外したクロスを入れて、トイレ用具を倉庫から取り出して掃除を始めた。


「ちょっと、瀬谷くん。いる?」

ふいにトイレのドアの外から呼ばれたので、便器の掃除の手を止めて外に出た。

出た先には袴田さんが立っていた。

「ここ、ヒールマークついてるでしょ。」

指をさした箇所を見ると、確かに硬いゴムを引きずったような黒い跡が残っている。拭いただけでは取れないくらいベタッとついていた。

「こういうところが大事だから。結構見落としちゃうけど。」

袴田さんが持ってきたモップをおいて、足で踏みつけてギュッギュッとこすった。

足を離してみると、床にヒールマークは残っていなかった。

「こういうのさ、見てくるからね。」

はは、と苦笑いを作ると、袴田さんの顔は真剣だった。

「はい、すいません。」

「うん。それじゃ私は倉庫行くから。」

袴田さんはふっと体を翻して廊下の角を曲がっていった。

油断していたなと思ったと同時に、どこか見透かされてる怖さがあった。

2026年7月28日火曜日

文化が変化するのはパクリと飽きなのか

 パクリとは悪いものである、という認識は割と一般的ではあると思う。模倣自体は肯定されるべき場面はあるものの、商業の場に出た途端に悪だと認識するケースは多い。場合によっては有ること無いこと書かれて炎上してしまう事すらある。

この炎上が良いことか悪いことかは一旦置いといて、パクリは飽きを引き起こし、変化を始めるとまたパクリが起こり・・・を繰り返すのではないかという事を考えてみた。


パクリとは、他者が作った製品やアイデアなどを引用元を示さず、自らのオリジナルもしくはアイデアを自ら発想したとすることである。大抵は発表することで利益になったり名声を得たりする。

(ちなみにこの文章でいう「パクリ」とは、 単なる模倣ではなく、 他者の創造的成果へフリーライドし、 文化的更新よりも経済合理性を優先する模倣を指している。)

似たような概念としてサンプリングがあるが、扱い方に違いがある。サンプリングの場合は元ネタを別のステータスやジャンルへと移したり、一部の要素を変更、切り取る事で再評価を得ることである。

例えばデュシャンの泉はトイレの便器を芸術として発表したが、芸術品とされていなかった便器を芸術とする事で、そもそも芸術とは何かというメタ視点を導入し、「美術とはなんだ」という脱構築を行う意味もあった。

ここで行われているのは、実用品から美術品という概念の移行である。視点が変わると新たな視点を提示したとして評価される。

他の例として、ヒップホップでは他の音楽の一部のフレーズを切り取ってリピートして使う等することで、元ネタには無かったグルーブ感や空気感を作り上げる。これも同様に、一部を使って別の文脈や曲調を作り上げて新たな価値(曲)を創造している。クラシックの曲の一部をリフレインすることで、クラシックではない新たな文脈を聴衆に提示する。こうした編集により、新たな視点を提示する事は創造的な行為と捉えられうる。

パクリとオマージュには時間的な視点もある。既に一般的になってコモディティ化した製品を、改めて要素の一部を変えて販売するという事もある。これは常識となったモノの一部を変える事でオリジナリティを出そうとする行為である。ただし、「引用を示さずに」というパクリの定義を持ってくると、サンプリングは無断でというケースも多くグレーなところなので、ともすればパクリとされてしまう素地は十分にある為、サンプリング自体も慎重に扱うべき概念である。


では、パクリとはどう成立するのか。

基本的にパクられる元になったものは「センスがあるもの」「売れる価値のあるもの」であるが、その為には個人の多大な労力や、研究開発の費用や期間、分析その他諸々がかかっている。優れたものは基本的には無数の失敗や成功の積み重ねなどの表に出てこない多大なコストの元に成り立つものである。

そしてパクる場合はそれらのコストを経ずに近しいものを作る。

先駆者たる人や組織のような優れたモノを作る人や組織に資本が集まることは、文化の進歩を促進させる文化を育む可能性が高くなる。だからこそ、先駆者の創作・制作物は広まり、売れていくべきである。これは業界を変化させ、しいては文化の変化を担保する要因となる。

しかし、パクる場合に必要なのは、元の設計図にあたるものである。法的に許される模倣と、倫理的・文化的に許容される模倣は必ずしも一致しない。だから訴えられるまでは合法である、と割り切って考えることも出来る。

そして、パクリ製品が売れた場合に資本がそこに集まると、次に行うのは「より売れる製品のパクリ」である可能性は高い。

なぜなら、革新的なアイデアや製品を出せなかった人や組織がパクリで経済的に成功したならば、合理的に考えて次も同じ事をする可能性は高いだろう。そこにある理念とは「経済性の論理」である。売れるからパクり、それまでに蓄積されたノウハウやその製品の人気にフリーライドするという事が事業モデルになっていくのである。

人気の服があって、それをパクって安く作った場合、パクリ元よりも価格の面で優れている事が多い。なぜなら研究開発に当たる部分がぽっかりと抜けているからである。

経済的なメリットを優先し続けるならば、人気のものをパクリ続けて元よりも安く、またこだわりの部分をスポイルして体面が整う程度のものにダウングレードする。これでネタ元よりもパッと見で同じような安くて失敗しない、大量生産可能な"経済的に良い"ものが作れる。

つまり、パクリによるフリーライドは経済的なメリットを享受するにはうってつけである。一見、資本主義社会においては正しいのでは無いか。


ただ、模倣の先にはデメリットがあると思う。

模倣は変化の為には必要な段階で、作り手や発信者には何故売れるのか、センスが良いと言われるのかの理由が分かったり、「こうなっていたのか。」と気付きを与える。何事も真似てみて分かることは多かったりする。

そして消費者や受信者には飽き(変化への欲)を徐々に与えていく。商業的にも同じ商品が並んでいたら、差異が無ければ売上は変わらない。模倣することで差別化への理由が発生するという道が現れる。そうすれば自然と新たな文化を作る人が現れていく。

その中には失敗と成功が発生する。これは売れなかった、評価されなかった、これは売れた、評価された。

そんな試行錯誤の流れが変化を生み出す。結局のところ、模倣の先に「本来あるべきサイクル」に回収されていく道筋があるように思う。

もう一つ、模倣を続ける事のデメリットがある。

それは、その製品群には背景が見えないので、文化を変化させるだけの強い力が無いのではないか、という点である。

人は何かにつけて物語を欲する傾向がある。成功者の本が売れているのは「そこには成功に至るまでのストーリーがある」と信じたいからだ。

また、人だけでなく組織にもストーリーは必要だ。会社理念を作り上げることで社員も含めて物語を感じ、その歴史の末に出来た製品を手にするというのは大きな付加価値になる。

その中には理念の為に経済性を弱めて作り上げた製品やアイデアもある。だが、それこそにその会社の本質が詰まっている。そこには経済性というノイズを削って作り上げたという希少性があるからだ。

だが、もしパクリ続けて「今売れている製品」のみを作り続けている人や会社には、そういったストーリーは作り上げられづらい。あえて出すのであれば「顧客が求めているから作る」という物語だろう。

だからこそ、製品自体に過剰な説明を付けなければならない。そこには「どうしても欲しい」と考える為のストーリーや背景が薄い事で、自然と購買者が感じうる魅力、パワーがそうそう出てこないのである。

そして、ストーリーが欠落したものからは「作品同士の繋がり」が見えなくなる可能性があるという点である。

企業にも理念があり、個々人にも理念はある。それらが作る製品には一つ芯が通っている。

この芯はユーザーに蓄積され、「この会社はこういうサービスや製品を作る」という印象を作る。

環境を守りつつ快適な生活を守る。

自由と既存の表現への挑戦を行う。

世界に誰もがアクセスする事が出来、様々な不均衡を解消する。

それらは困難にも見える内容だが、わずかでも達成することで革新性に繋がり、世界をより強い方向へ変えていく。

経済的メリットを取り模倣を続けることは、この概念を持つことが難しい。

もちろん理念を掲げることは可能だが、行動と理念のズレが起こった場合、いつの間にか行動が理念を上書きしてしまい、一応掲げた理念が形骸化してしまう事は起こりうる。「やってることと言ってることが違くない?」と活動に関わる社員すらも感じる状況だ。

そしてその中で現れた製作・創作活動からは、消費者や受信者には経済的優位性の印象ばかりが残る。そこからは人に響くストーリーはなかなか現れてこない。

もちろん経済的優位性に惹かれて購入する人もいる。だが、それはその製品自体ではなく「書かれている値段と説明された価値との差分」を評価した結果ではないか。「金額ではない」ものが生まれる為には、”代用品”な存在では難しい。経済的メリットを説かれて買ったモノに経済的価値を超えた価値を見出す為には、そこに自ら作り上げた強いストーリーを結びつけなければならない。(「初めてバンド活動をした時に買った安いけど思い出深いギター」みたいな本当に個人的なものである。)

こうして大多数の模倣は変化に飲み込まれていくだろう。

だから、時代を進歩させるものというのは経済だけではない。むしろ、非経済的なこだわりから生まれるものが時代を変える事も多い。

なので

「この製品は、他の高級品と同じ素材を使い、作り方もこだわりの工場を使っています。デザインも現代の人気になっている形をそのまま作り上げています。」

よりも長く残るのは

「この製品は、もしアメリカントラッドが日本ではなくイギリスで作られていたならどうなっていたか、現状の文化の再解釈を行って作ったものです。」

の方がそのジャンルの愛好者には響くのではないだろうか。なぜなら文化を変化させうる力をもたらす期待があるからだ。

こうして硬直化と変化を繰り返し、過去を参照しつつ新しい変化を見つけていくのだろう。

とはいえ、目先のトレンドよりもっと長い周期でのトレンドはあると思う。カッコいいの基準が「正解がある」とされている所から、「人それぞれに答えがある」不安定な状況に、そしてまた「正解がある」・・・といったような流れがトレンドの底にもう一つ流れているようにも思う。

2026年7月25日土曜日

普通二輪のぽせ

 先日、ついに普通二輪MTの試験に無事合格した。

試験の際は緊張が僅かにあった程度だったが、S字クランクであと2mmズレてたら失格だと教官から言われたので、試験走行後が一番ヒヤッとした。

改めて振り返ると、バイクに乗りたいと思った理由もふわっとしていて、クロスカブ取得時は近年規制が厳しくなった自転車の代わりにとは言っていたが、そもそも自転車もそんな乗っていないので大きな理由ではなかった。

知り合いに聞いてみても「なんとなく」という人が多い。バイクにはそういうふわっとした理由で乗りたくなる魅力がある。


後は免許の書き換えが残っているが、これが相当時間がかかるのでは。前回、小型ATの際は5時間程度待ったので、今回はどの程度かかるのか今から面倒だなーと思っている。

また、夏場は日中乗るのが躊躇われるレベルの暑さが続いているので、早朝とか夜とかにちょこちょこ乗って、秋に本格的に走りたい。

2026年7月16日木曜日

流行語の呪い


パッと浮かんだ事のメモとして。

自然現象から一部を切り取って概念化し、言葉を作り上げる。そしてその言葉がある物質や現象の概念を表現しているという状態にしてから何かしらの証明を組み立てていくのだが、自然現象自体ではなくなっている以上、概念化して言葉に落とし込んだら切り取られた外側の領域の存在が説明を不十分にしてしまう事がある。

日常会話においては、論理的に組み上げたのに、現実から概念化して言葉にするというプロセスの正確性がそこまで求められない為、組み合わせた言葉同士に隙間が存在してしまう。

ここで言う隙間とは「ある言葉に存在する概念化する際に拾いきれなかった部分」であるが、そんな部分を持った言葉同士を組み合わせても、「なんとなく十分証明出来てるっぽい感じになる」という点である。

これは言葉になるというもののインパクトが人々が思う以上にあるという事だ。言葉になった時点で妙な説得力を持つ。

じゃあ、どうやって正しいのか間違ってるのかを判断するかというと、言葉が出来上がったプロセスを見ることで大抵の人は「ここの流れはおかしい!」と気が付く事が出来る。

でも、特に日常会話で使う言葉、”流行語”が出来た経緯は大勢が知ることが出来るのに、大抵の人にはその生成プロセスは認識出来ない、というか調べればわかるけどそこまでする人はかなり少ないだろう。だから、ある日、突然ぽんと現れるような感じ。作り込まれているかとか、適当に投げ込まれたとか、そういう経緯はわからない。でも言葉のインパクトなり時代にフィットさえしてれば定着する可能性が十分にある。

そして”流行語”が出来上がって定着した時点で、その言葉が”出来た”という事実に対して理由の説明出来ない説得力、要は”社会にその対象が確かに存在してるんじゃないか感”が発生する。

これが厄介で、どんなに抽象化しまくってて現実離れした穴だらけの言葉であっても「こういう言葉が流行っている以上、大勢の人が同意なり求めているなりしてるだろう。」という風な解釈を押し付けることが出来る。


例えば「草食系男子」という言葉があった時に、「草食系男子は内向的で~、異性とのコミュニケーションに消極的で~」みたいな纏め方が出来るし、一時期、むしろ現代においてもそういう人物グループがはっきりと存在している、という認識が大多数であろう。

でも、「内向的とは」「異性とのコミュに消極的とは」「具体的にどういう状況でどういう行動を取っているか」「その理由は」と内容を細分化していくと実際は各人違う理由だったり、そう見えているだけだったりする事はままある。つまり言葉でのラベリングに引っ張られて、大雑把にその人全体の印象が決定されてしまっている。

そういう風に言葉にする段階で、人が容易に理解できるような共通の論理性が求められる為、わかりやすいストーリーみたいなもので組み上げる必要があり、その時に大雑把な形で纏められてしまう。こういった意味で「流行語」は隙間だらけなのである。

他の例として、婚活ブームで流行った「標準的な人」は言葉としては存在する。でも、存在しそう感はあるけど、実際の統計データを調べてみると実際はそんな人いないよねっていう。


注意しないといけないのは、急に流行語が発生した時に印象に振り回されているという自覚をしないといけないのと、その裏側でどういう仕組みが動いているのかと警戒しないと、そこで発生した不安なりを誰かが使ってより増長させて、現実と乖離した”誰かが勝手に打ち立てて、そこから大勢の人たちの過剰な妄想で作り上げた歪に単純化されているズレた世界”が作り上げられてしまう。そこに便乗して人気を集めたり、稼いだりして発言権を持つようになった先にある世界では、本当でもデマでも言ったもん勝ちで人気を得る行為が正当化されうる。

僕はある界隈の奥深さを毀損してまで裾野を広げるというのは、少なくとも十分に広まった段階では正しいとも思わないし、健全とも言えない。

実際問題難しい部分だが、立ち上げ初期は世界の為にと始めたかもしれないが、ゆくゆくは規模が大きくなるにつれて維持の為の嘘をつかなければならなくなり、そこにあるのは自己正当化への誘惑である。(何が正しいか健全かどうかは個人の感想ですが・・・)

その為に使われるのは明確な対象が存在しない”言葉”でのラベリングである。その言葉が存在する限り、自己正当化の論理は一応の正当性を得ることが出来る。だからこそ、言葉について改めて考え、漠然とした言葉のイメージという呪いを解く作業が大切なのだと感じる。


というのを、ここ最近のSNSファッションの「ダサオジ」の流れを見てて思った次第。

そもそもダサオジという言葉が表すのは何か。

具体的に、体型の問題なのか、TPOが守れてないのか、清潔感の有無なのか、老化現象自体への嫌悪感なのか、それともそれ以外の何かなのかがはっきりしない。

とにかく「ダサい」と思えばその人の背景文脈全て無視して一絡げにされてしまう。


そういう「印象操作もファッションだ。」というのであれば、それはあくまで表象のみであり、ファッションに潜っていくともっと広がりのある楽しい世界が広がっている。

そして改めて「ファッション」ってなんだっけ、どこまでがファッションの役割や効用なんだっけ、というのを考える時期に差し掛かってるのかもしれない。

例えばファッションがモテるという機能を持つのは具体的にどういった状況で?本人自身の容姿との兼ね合いは?場所は?トレンドがモテるというのは具体的にどういった根拠でどう観測出来るの?それらの定数化、もしくは定量化はどの程度まで可能?といったちょっとした事でも疑問は絶えないだろう。

そこを深堀りしないで言葉を作り出し、何となくの印象で流行とするのは果たして価値のある事と言えるのか。

そして、そんなこと言ってる内にその言葉に飽きて、また別の言葉のラベリングに飛びついて・・・を繰り返していくのは堂々巡りで発展性が無いのではないか。

流行を作る立場の人々は、発展性のある言論で界隈の人たちを引っ張っていき、そのものの奥深さを伝えるのが役割じゃないの?と思う次第。



以上、「流行語を悪用した商売って怖いからやめてよー!」で伝わりますね、はい・・・て内容でした。

2026年7月7日火曜日

中古バイクを契約した


前回話した普通二輪免許講習については、クランクと8の字がなんとか超えられて、一本橋は割と得意なのでスラロームがどうなるかという段階。

そしてまだはっきりと免許取得日程は決まって無いが、見込みでやってしまえとバイクを先に契約しておくことにした。

事前に400cc以内の良さげなバイクはあれこれ調べていたが、いかんせん選択肢が多かった。

まず排気量はどうするか。

250ccだと400ccと比べて車体価格が安いのと、車検が無い分コストは抑えられるかもだけど、高速走行に適しているかというと微妙というのが大方の評価だった。

一部SS車種だといけるらしいが、ライディングポジションが前傾すぎてオッサンには辛いので除外。

じゃあ400ccクラスにするかと思い、いくつか候補を絞った。

・ハスクヴァーナ スヴァルトピレン401

まず見た目がめちゃくちゃカッコいい。絶妙な曲線。バイクというとなんとなく丸っこい感じのイメージだったがこの機種はバチっときた。未来のバイクやん、と。それから電子系が多機能で面白そう。そのくせ割と車体価格は安い。ポジションも割と楽そう。あとは「ハスクヴァーナ」って言いたい。ネイティブ風に「ヘイスクワーナ」って声に出して読みたい外国語。


「え、バイク乗ってるんですか?へー!意外ですね!どこのやつなんですか?」

「ヘイスクワーナァ・・・・」







「お、おう・・・・」


ただ、燃料計が当てにならないとか、外車だからパーツ類が高くて車検がなかなかとか、シート高がめっちゃ高い(820くらい?)

実際ディーラーで乗せてもらった所、サスペンションで少し沈むがそれでも背が低い僕にとっては割と致命的だった。

ディーラーさんでは「つま先でも支えられるんで、全然大丈夫っすよ」と、乗車してつま先ピンピンで搭乗しているところを見せてもらったが「ハハハ(流石に・・・)」となった。

シート高を下げるローダウンも出来るらしいが、結構高かったのと、最初の普通二輪で燃料計とかコストとかで困りたくないので一旦保留。


・CB350

なんかアメリカっぽい!丸い!絶妙にオシャレ感があってシート高800かぁ・・・

単気筒なのもちょっと気になる。カブは好きだけど。ただ、シフト操作はしやすそう。

あとさっきの説明にあったようにフォルムが普通に丸いのがそんなに好きじゃなくて、実際は乗りやすいのかもしれないけど、というのと単気筒だったので高速域はキツイんじゃなかろうかと思い、これは断念。


・NX400

めっちゃすごいけど高い。中古も全然無いし高い。

金がそこまで無いのでね・・・・。

現教習車で、使ってて色々機能があるんだなとか、乗りやすいんだろうなとか思ってるけど、それでもである。

見た目はなんかクスィーガンダムっぽい次世代感があって好きなんだけどね・・・。

初心者だし、こんな高級車はもったいない気がして断念。


・Z400

だいぶ迷った。2気筒で400cc、ネイキッドでシート高も785。見た目もアーマードコアの高速巡航機に出てきそうな雰囲気がある。

カラーリングも明るいカワサキのグリーンカラーがいい感じに目立ってくれる。

実際、車重も軽いし見た目も「自分、早いです」って感じが出てる。

低速帯トルクもたっぷり詰まってるらしく、街乗りも余裕だと。

どっちかというと高速走行向けに作ってるっぽいらしく、ライディングポジションがやや前傾。

値段も安いし、中古にも結構出回ってる。

前傾はあれだが、これはいけるんじゃなかろうか・・・と候補とする。


・MT-03

まず見た目、特に顔がなんかガンダムの敵っぽい。メインに据える顔ではない気がする。

一応2気筒か・・・ただ320ccでちょい劣る。

低速帯トルクはたっぷり仕様で街乗りもいける。

軽いのでひらひら曲がれる。高速もワインディングもいけるらしい。

キャラ的にはだいぶZ400と被ってる気がする。同じSFだし。

Z400と比べると高速走行は劣るが街中やワインディングは有利付くらしい。


結局のところ、見た目とライポジ、「初心者に扱いやすい」というレビューを多数見たのでMT-03へ決定した。


早速、行きつけのバイク屋で中古を探してもらうと、2020年のそこそこカスタムしてある個体があるとのこと。値段も割と安くなっていたので、一度持ち帰って調べたうえで決定した。

今のクロスカブ(400kmくらいしか走ってない・・・)も残しておきたかったが、流石に2台持ちは維持出来ないし、役割も被るので売却して購入費用に充てることにした。


思えばクロスカブが無ければ絶対バイク乗らなかったなーと思うと感慨深い。しかも実際めっちゃ乗りやすい。通勤とかでしょっちゅう乗るならクロスカブを選ぶくらいにはいいバイクだと思う。

というわけで、クロスカブを生贄に捧げてMT-03がご降臨(予定)となった。

あとは教習がどう転がるかである・・・。

2026年6月29日月曜日

自宅で簡単バイクセラピー

 最近は天候が悪くない限りはクロスカブで移動している。

自動遠心クラッチの癖がまだ掴みきれておらず、調整してなおスムーズにシフトアップ出来ない場面も多いが、軽いので楽に扱えるのが良い。

また、バイクに載っている際は思考が運転に向くため、車よりも無駄な考えが浮かばないのも凄く自分に合ってるなーという感じ。普段は暇だと情報を集める方向に向かってしまい、結果脳も目も疲れてしまう。

車に乗ってると運転に慣れてるせいか(これも気をつけないといけないんだけど・・・)、何となく退屈で余計な考えが浮かんでしまってあまり乗らなくなっていた。

今のところは資格勉強→バイク→資格勉強みたいなループも出来るので今後も乗っていこうと思うが、暑さとゲリラ豪雨があるのでちょっと夏が怖い。今年は少ないといいなぁ・・・。

(昔、豪雨の中で自転車に乗って通学していたら目の前の電柱に落雷して以来、結構苦手になった。)


そんな感じでカブセラピーライフを楽しんでいたが、乗って1ヶ月早々でもっとデカい排気量に乗りたいという気持ちが湧いてきた。

とりあえずAIに相談してみると、CHATGPTとGeminiでいつ取るかについては微妙に意見が分かれるので悩んだが、秋から冬にかけては資格試験があったり色々計画してる事があるので時間が取れるのは今しかないかもと思い立ち、普通二輪の教習を申し込む。

そして早速教習を数回受けたが、マジでめちゃくちゃ転ぶ。

最初は「単に車体がデカくなっただけでしょ!」ぐらいに思っていたが、シフト操作とアクセル、ブレーキングとハンドリングと意外とやることが多く、車体の重量も全然違うのでカーブ時にどのくらい傾けてよいのかの感覚が掴めない。

特に八の字とクランクで転びまくっていて



えーと半クラしつつアクセル回してあーやばい回しすぎてスピード出ちゃったからブレーキを踏んであかんエンストしそうクラッチ握らなきゃ遅くなりすぎて倒れそうアクセル回してうわ回しすぎてブンブン言うてるスピード出過ぎたヤバいブレーキで抑えて落としすぎたアカンわクラッチ握ってアクセrmzxg↓lb



ア・・・アア・・・ッ!!(転倒)



こんな調子で毎回ちいかわになっている。

あと、教習車が200kg近い重量があるので立ち上げるのがめちゃくちゃ疲れる。

「ンハイィーーー!!!」みたいな掛け声をあげたいくらいには全力で持ち上げている。そして毎回筋肉痛になっているのでどんだけ筋肉が無かったんだと。

そんな訳で、YOUTUBEの動画を見て何とか壁を突破して高速道路で旅に出たいなーと思う日々。

2026年6月22日月曜日

ゼノギアスの四柱神のデザインについて考えてみる。

 大好きなゲームに「ゼノギアス」がある。今でも様々な配信者がプレイしている名作ゲームだ。

当時小学生だった頃に友人から借りてプレイしていたらハマってしまい、そのまま購入に至った。その際に念のためにと攻略本も買っていた。

パラパラとめくった時に丁度目に入ったのがラスボス前の「四柱神」である。

おおよそ生物然としておらず、ロボットにも見えない。概念のような形状をした敵に僕は心奪われ、なんとかこいつらと戦いたいという気持ちで進めていた。

その後はそれなりにやり込んだりして楽に倒せるようになり、資料集を買って深く内容を知っていくうちに

「コイツラのデザイン源は何なんだ」という疑問にぶち当たったままである。

資料集にも設定画が1枚ずつ載っているのみで、しかも一部は再現されていない。開発後半だったのだろうか、微妙にデザインの変更がなされている。でもおおよそのデザインは踏襲されているところを見るに、何か明確なデザインの参照元があったのだろうと考えている。

とはいえ宗教についても神についても詳しくないのでwikipediaとかそのへんの情報を活用しながら、自分の想像とかをいれながら書いていく。


そもそもそれぞれが運用システムの概念を具現化した存在であり、意思はデウスの支配下にあるらしい。


・メタトロン

一番強い。(ワイルドスマイルをぶち当てると途端に弱くなるが、そもそも反則技ですし・・・)

ユダヤ教神話においての最高位で、神の側近と言われるほどの位置にいるらしい。だから形状がデウスに似て有機的かつメカっぽい雰囲気なんだろうか。最も神に近い=デウスに近い。

また、名前は”玉座に侍る者”という語源からきているようで、そう言われてみれば中央付近は椅子に座るようなモチーフになっている気がする。

また、36対の翼と無数の目を持つという特徴があるようだが、いちおう球体が3つプカプカ浮いているからこれが目という認識?あと本体の外側の形状も複翼と言えば複翼に見えるかな・・・。

固有技の「地よりわきたつもの」はフィールドの足元から兵法三十六計の文字が湧き出てくるというビジュアル。

それぞれ「釜底抽薪:煮え立つ鍋の底から薪(まき)を抜き取って、根本から沸騰を鎮める」

「借屍還魂:亡国の復興などすでに「死んでいるもの」を持ち出して大義名分にする」

調虎離山: 虎をおびき出して、山から引き離す。」

なんでユダヤ教の神なのに中国の兵法?

しかも炎の神として天上から炎の柱を下ろしたエピソードが残ってるのにあえての地上から沸き立たせている。わからない・・・。

兵法については、デウスの戦闘判断を部分的に担当している、軍師的システムだからだろうか。


・サンダルフォン

回復するだけで強くない。毎回こいつで燃料チャージして他に備えてた。

原典ではメタトロンの双子の兄弟であるらしい。天国の音楽を支配し、人々が祈りの中で音楽を用いて神とコミュニケーションを取ることを助けるとのこと。

そこからメタトロンが攻性であるならサンダルフォンは守性のボスになったのか。

どうもサンダルフォンが車輪を持つ天使(生まれが人間で、馬車でもって天に登ったところから)らしいので、デザインソースは車輪転じてギア?

固有技「ヒーリング」はサンダルフォンの対であり、支援するという性質上で設定されたのかもしれない。


・ハールート

こいつが一番謎。一番生き物から離れてる概念みたいな存在。

上の方にコアっぽいトゲトゲが浮いてて、下にはグルグルと立体的なブラックホールみたいな土台に光の粒が正弦波の軌道で上昇している。

原典では天使だったが地上で酒を飲んで人を殺したのでマールートと共に天に戻れなくなっちゃったらしい。

こっちもマールートとペアになっている。

ゾロアスター教では「ハルワタート」という名で「完全」を意味する善神。

人間に魔法を教えるのを助けたという事で、補助魔法的な「天からふりそそぐもの」という攻撃をしてくる。こちらはステータス異常攻撃。

規則正しい季節と水を司るということで常に全体で何かが流れるようなフォルムをしているんだろうか。


・マールート

最初はユグドラのマークかと思った。大抵かませ+チュチュにぶつけて倒す。

ハールートとペアで出てきて、同じように地上から戻れなくなったらしい。

こいつもゾロアスター教では「アムルタート」と呼ばれ、「不滅」を意味する植物の守護神らしい。

植物というところから地を這う所や、紋章のようなデザイン(アールデコみたいに植物は比較的平面デザインに採用されやすい)になったのだろうか。

植物がデザインソースであれば、固有技が「フュエルドレイン」なのも何となく分かる気がする。栄養を吸い取るみたいな。


以上。これもうわかんねぇな(絶望)

とりあえず

・メタトロン:攻撃担当 一番デウスに近い→デザインが似ている。炎の神なので火力が高い。技が兵法からの引用なので、攻撃性が高いデザイン。

・サンダルフォン:防衛担当 メタトロンの補佐として回復する。車輪デザインが伝承からの名残がある。

・ハールート:妨害担当 流れるようなデザインは水と、電子殻から電子が飛び出してる様子から?コアが上部で浮いてるのが原子核。

・マールート:吸収担当 サソリかと思ったら植物。やっかいになった「つちのこ」

こんな程度しか考えが及ばない。それぞれがデウスの攻撃、回復、撹乱、維持という役割を持っていて、それらがデウスを支えている。

生き物として考えると、メタトロンが脳(デウス)に近い神経系で、サンダルフォンが規則を象徴するようなギアのデザインにヒーリングという回復機能から体内の恒常性を維持する機構(ホメオスタシス)、ハールートが流れるデザイン(リンパや血液的な?)と技の性質(妨害)的に免疫系、マールートが栄養吸収みたいな形で人間ふくめ生物の構造を意識したのではないか。

あと、この組み合わせを見てると元々はそれぞれペアごとの戦闘想定だったのではとも思ってしまう。ラスボス戦前なのに妙にあっさり倒せるし。

真相やいかに。

清掃業務休憩室にて

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