趣味で何かが好きな人って、どういうメンタリティで続けてるのか気になる今日このごろ。
もちろん何となく楽しいっていうのもあるかもだけど、楽しいと言うよりは義務のようにしないと続かない場面も多いと思う。
イラスト書いてると、ラフから下書きまでは楽しいけど、ペン入れと彩色、効果を入れる段階になると
「うう・・ちゅらい・・・ちゅらい・・・」
ってなる事が多い。僕は特に。
要するにどういう所を最終到達点にしてるのかなと考えてたりしてて、どう納得するかどうかだと思う。それは利便性だったり、歴史へのリスペクトだったり・・・。
例えばどういう服を着るかって事を考えてると、自分の生活にフィットしたファッションが一つの到達点になると思ってて、その意味で休日の公園にいるパパさんが上下スウェットなのはワークファッションの到達点の一つとも言えるのではないか。
(その考えの上で、金子恵治さんが出してたフルーツオブザルームのスウェットセットアップはワンマイルウェア、休日のリラックススタイルとしての一つの完成形だ!と思って買おうとしたら速攻売り切れた。やっぱ影響力あるなぁと改めて思いつつ、レギュラーの方を買うか検討中。もう夏になるけど。)
そんなわけで、軍服も含めた作業着は特定の目的を果たすために機能性を最大限考慮して作られていると考えると、その人それぞれの生活に密着した服装が存在するなら値段とか関係なく「あがり」の服だと思う。
「あがり」にも色々な軸がありそうで、日時がわかってソーラー充電も可能な時計で十分なら実用的な面から「あがり」になるし、フィットネスをするから心拍数やVO2max、走行距離がわかるものが必要と思えばスマートウォッチが「あがり」になる。
見た目でも、カルティエのタンクみたいにブランドの歴史を感じられて、一時代を作った製品に対して深い思いがあるならそれも一つ「あがり」になりうるし、デザインが似ててクォーツの方が使いやすいならそれも「あがり」になる。「うんうん、それもまたアイカツだね!」みたいな感じだけど。
当然なことだけど、人それぞれに終止符を打てるアイテムは大きく違うと思う。それは色々見た先にようやく見えるかもしれないし、ここで終わりかと思ったら新しい道が見えたりではっきりとそのモノの「あがり」と感じられるのは相当先になるか、もしくは他の要因で情熱を向ける方向が変わった時か。
生活に寄り添う「あがり」の服に話を戻すと、有名なファッションバイヤー・デザイナーの金子恵治さんがなんかの投稿でハンティングジャケットの後ろのゲームポケットを「手ぶらで出かけた時、ふと衝動買いをした際のバッグ代わりに使える便利さ」みたいな事を言ってて、「ゲームポケットって実用的に使えるんだ・・・」というところからだった。
古着で昔は獲物を入れてたポケットを、ただの飾りじゃなく現代的な用途で使用することで服の持っている性能を発揮しているのは時代を超えたロマンがあるなぁと思う。
最後に、結局は自分なりの『あがり』を見つけることが、辛い作業を乗り越えたり、自分なりの楽しみ方を肯定したりするコツなのかもしれない。