パッと浮かんだ事のメモとして。
自然現象から一部を切り取って概念化し、言葉を作り上げる。そしてその言葉がある物質や現象の概念を表現しているという状態にしてから何かしらの証明を組み立てていくのだが、自然現象自体ではなくなっている以上、概念化して言葉に落とし込んだら切り取られた外側の領域の存在が説明を不十分にしてしまう事がある。
日常会話においては、論理的に組み上げたのに、現実から概念化して言葉にするというプロセスの正確性がそこまで求められない為、組み合わせた言葉同士に隙間が存在してしまう。
ここで言う隙間とは「ある言葉に存在する概念化する際に拾いきれなかった部分」であるが、そんな部分を持った言葉同士を組み合わせても、「なんとなく十分証明出来てるっぽい感じになる」という点である。
これは言葉になるというもののインパクトが人々が思う以上にあるという事だ。言葉になった時点で妙な説得力を持つ。
じゃあ、どうやって正しいのか間違ってるのかを判断するかというと、言葉が出来上がったプロセスを見ることで大抵の人は「ここの流れはおかしい!」と気が付く事が出来る。
でも、特に日常会話で使う言葉、”流行語”が出来た経緯は大勢が知ることが出来るのに、大抵の人にはその生成プロセスは認識出来ない、というか調べればわかるけどそこまでする人はかなり少ないだろう。だから、ある日、突然ぽんと現れるような感じ。作り込まれているかとか、適当に投げ込まれたとか、そういう経緯はわからない。でも言葉のインパクトなり時代にフィットさえしてれば定着する可能性が十分にある。
そして”流行語”が出来上がって定着した時点で、その言葉が”出来た”という事実に対して理由の説明出来ない説得力、要は”社会にその対象が確かに存在してるんじゃないか感”が発生する。
これが厄介で、どんなに抽象化しまくってて現実離れした穴だらけの言葉であっても「こういう言葉が流行っている以上、大勢の人が同意なり求めているなりしてるだろう。」という風な解釈を押し付けることが出来る。
例えば「草食系男子」という言葉があった時に、「草食系男子は内向的で~、異性とのコミュニケーションに消極的で~」みたいな纏め方が出来るし、一時期、むしろ現代においてもそういう人物グループがはっきりと存在している、という認識が大多数であろう。
でも、「内向的とは」「異性とのコミュに消極的とは」「具体的にどういう状況でどういう行動を取っているか」「その理由は」と内容を細分化していくと実際は各人違う理由だったり、そう見えているだけだったりする事はままある。つまり言葉でのラベリングに引っ張られて、大雑把にその人全体の印象が決定されてしまっている。
そういう風に言葉にする段階で、人が容易に理解できるような共通の論理性が求められる為、わかりやすいストーリーみたいなもので組み上げる必要があり、その時に大雑把な形で纏められてしまう。こういった意味で「流行語」は隙間だらけなのである。
他の例として、婚活ブームで流行った「標準的な人」は言葉としては存在する。でも、存在しそう感はあるけど、実際の統計データを調べてみると実際はそんな人いないよねっていう。
注意しないといけないのは、急に流行語が発生した時に印象に振り回されているという自覚をしないといけないのと、その裏側でどういう仕組みが動いているのかと警戒しないと、そこで発生した不安なりを誰かが使ってより増長させて、現実と乖離した”誰かが勝手に打ち立てて、そこから大勢の人たちの過剰な妄想で作り上げた歪に単純化されているズレた世界”が作り上げられてしまう。そこに便乗して人気を集めたり、稼いだりして発言権を持つようになった先にある世界では、本当でもデマでも言ったもん勝ちで人気を得る行為が正当化されうる。
僕はある界隈の奥深さを毀損してまで裾野を広げるというのは、少なくとも十分に広まった段階では正しいとも思わないし、健全とも言えない。
実際問題難しい部分だが、立ち上げ初期は世界の為にと始めたかもしれないが、ゆくゆくは規模が大きくなるにつれて維持の為の嘘をつかなければならなくなり、そこにあるのは自己正当化への誘惑である。(何が正しいか健全かどうかは個人の感想ですが・・・)
その為に使われるのは明確な対象が存在しない”言葉”でのラベリングである。その言葉が存在する限り、自己正当化の論理は一応の正当性を得ることが出来る。だからこそ、言葉について改めて考え、漠然とした言葉のイメージという呪いを解く作業が大切なのだと感じる。
というのを、ここ最近のSNSファッションの「ダサオジ」の流れを見てて思った次第。
そもそもダサオジという言葉が表すのは何か。
具体的に、体型の問題なのか、TPOが守れてないのか、清潔感の有無なのか、老化現象自体への嫌悪感なのか、それともそれ以外の何かなのかがはっきりしない。
とにかく「ダサい」と思えばその人の背景文脈全て無視して一絡げにされてしまう。
そういう「印象操作もファッションだ。」というのであれば、それはあくまで表象のみであり、ファッションに潜っていくともっと広がりのある楽しい世界が広がっている。
そして改めて「ファッション」ってなんだっけ、どこまでがファッションの役割や効用なんだっけ、というのを考える時期に差し掛かってるのかもしれない。
例えばファッションがモテるという機能を持つのは具体的にどういった状況で?本人自身の容姿との兼ね合いは?場所は?トレンドがモテるというのは具体的にどういった根拠でどう観測出来るの?それらの定数化、もしくは定量化はどの程度まで可能?といったちょっとした事でも疑問は絶えないだろう。
そこを深堀りしないで言葉を作り出し、何となくの印象で流行とするのは果たして価値のある事と言えるのか。
そして、そんなこと言ってる内にその言葉に飽きて、また別の言葉のラベリングに飛びついて・・・を繰り返していくのは堂々巡りで発展性が無いのではないか。
流行を作る立場の人々は、発展性のある言論で界隈の人たちを引っ張っていき、そのものの奥深さを伝えるのが役割じゃないの?と思う次第。
以上、「流行語を悪用した商売って怖いからやめてよー!」で伝わりますね、はい・・・て内容でした。