2026年4月2日木曜日

ファッションインフルエンサーの炎上ってつまるところ・・・

 

某有名ファッションインフルエンサーさん達が叩かれてるのと、100ワニ炎上には共通点があるんじゃないかと思う。

◆インフルエンサー:初めは初心者向けに既存の安価なファッションアイテムコーデを定義。後半で文脈を変えて自身のファッションブランド優位な理論へ変更誘導する形と捉えかねない発信となる。そこで今までの講座も何も自身のファッションブランド販売の為のツールであったと認識されて批判が増える。

◆100ワニ:コメディから始めたが徐々にヒューマン・ドラマに物語りが変わり、感動の最後と共に関連グッズ等が発表されて、これまでの作品の意味が多数の読者認識上で販促漫画に変質してしまった。






◆健康食品のCM:長年農家をやっているYさん、平凡だが奥さんと何とかやってこれた最中、突然仕事中に倒れる。病院のICUで一命を取り留めるも、健康不安は続く・・・そんな時にこの青汁!


横に寝っ転がってせんべいかじってたのに話の急展開で思わず座り直して凝視した結果がこれだよ!

趣味の最終到達点ってどこ?

 趣味で何かが好きな人って、どういうメンタリティで続けてるのか気になる今日このごろ。

もちろん何となく楽しいっていうのもあるかもだけど、楽しいと言うよりは義務のようにしないと続かない場面も多いと思う。

イラスト書いてると、ラフから下書きまでは楽しいけど、ペン入れと彩色、効果を入れる段階になると

「うう・・ちゅらい・・・ちゅらい・・・」

ってなる事が多い。僕は特に。

要するにどういう所を最終到達点にしてるのかなと考えてたりしてて、どう納得するかどうかだと思う。それは利便性だったり、歴史へのリスペクトだったり・・・。

例えばどういう服を着るかって事を考えてると、自分の生活にフィットしたファッションが一つの到達点になると思ってて、その意味で休日の公園にいるパパさんが上下スウェットなのはワークファッションの到達点の一つとも言えるのではないか。

(その意味で、金子恵治さんが出してたフルーツオブザルームのスウェットセットアップはワンマイルウェア、休日のリラックススタイルとしての一つの完成形だ!と思って買おうとしたら速攻売り切れた。やっぱ影響力あるなぁと改めて思いつつ、レギュラーの方を買うか検討中。もう夏になるけど。)

そんなわけで、軍服も含めた作業着は特定の目的を果たすために機能性を最大限考慮して作られていると考えると、その人それぞれの生活に密着した服装が存在するなら値段とか関係なく「あがり」の服だと思う。

「あがり」にも色々な軸がありそうで、日時がわかってソーラー充電も可能な時計で十分なら実用的な面から「あがり」になるし、フィットネスをするから心拍数やVO2max、走行距離がわかるものが必要と思えばスマートウォッチが「あがり」になる。

見た目でも、カルティエのタンクみたいにブランドの歴史を感じられて、一時代を作った製品に対して深い思いがあるならそれも一つ「あがり」になりうるし、デザインが似ててクォーツの方が使いやすいならそれも「あがり」になる。「うんうん、それもまたアイカツだね!」みたいな感じだけど。

要するに人によりけりだから難しいけど、背景のストーリーは言語化出来ていない部分も含めて誰しも興味深いものがあるんだと思う。

イラストでも、僕は基本的に描く動機が「こんな絵が見たい」なので、ある程度想像で保管できる部分まで描けたら下書きでも完成品としちゃう事が結構ある。


そう思ったのも、それこそ金子恵治さんがなんかの投稿でハンティングジャケットの後ろのゲームポケットを「手ぶらで出かけた時、ふと衝動買いをした際のバッグ代わりに使える便利さ」みたいな事を言ってて、「ゲームポケットって実用的に使えるんだ・・・」というところからだった。

古着で昔は獲物を入れてたポケットを、ただの飾りじゃなく現代的な用途で使用することで服本来の性能を発揮しているのは時代を超えたロマンがあるなぁと思う。


 最後に、結局は自分なりの『あがり』を見つけることが、辛い作業を乗り越えたり、自分なりの楽しみ方を肯定したりするコツなのかもしれない。


2026年3月31日火曜日

ゲームと「私たちはどう学んでいるのか」


最近読んだ本を踏まえてメモ。
今回は試しにスマホからポータブルキーボードで書いてみる。
これが出来るようになれば外出中にも日記が更新できるので忘れることが無くなりそうで便利。
何気にアウトプットが気軽に出来ると精神衛生上良い。



なにかを始めると最初は一気に上達する。そこから徐々に成長速度が遅くなって、ある程度まで上達すると平行線にも思えるような状態になる。
それでも続けていくとスランプを経験する。続けているのに下手になるという状況である。
それを乗り越えるとまた少し上達する。これを繰り返していくサイクルが一般的である。

この時、僕らには何が起こっているのか。

まず、何かを始める時は基本的なルールを覚える必要がある。
この時に気をつけるのは、実際に行いつつ覚えていくことである。
人の記憶は場面場面で思い出されるため、情報だけを詰め込んでもどの場面に適用するのかを判断することが難しい。

格闘ゲームに例えると、キャラの操作方法をただ説明されても視覚情報が伴わない為、この操作をするとキャラがどうなるのかという情報が結びつかず、学習効率が悪くなる。

続いて操作から応用して実用的な行動を覚えていく。行動の難易度を上げていく事で、ステップごとの情報の密度が上がっていく。
視覚触覚聴覚といった情報から場面を認識し、対応方法を結びつけていく。

そんな感じで人は上達していくが、実は直線的に成長しているわけではなく、成長が遅くなり、まだ早くなりを繰り返してうねるような線を描いている。
人は学習する中で成長を目指している時、より効率の良い方法を意識無意識問わず試行錯誤している。
新しい方法を取り入れると、一時的に慣れるまで遅くなる。そしてその手法に慣れるとまた成長が早くなる。
これを繰り返していくが、ある程度まで成長するとスランプになる。
この時に抜け出す方法は「思い込み」の前提条件を抜け出し、ズレた方法を何度も試行することである。これは「ひらめき」とも考えられる。

ひらめきは一見効率が悪いように思える方法から生まれる事が多い。
あえて負け筋に思えるような方法を取ったりすると、その中にある正解へのピースが集まってくる。人は意外と無意識にもこういった情報を集めている。

そうすることで、徐々にピースが集まってくるとその中から成長のヒントが見つかり、ポンとステップを上がるようにスランプを抜け出す。

なので、成長曲線を遠目で見ると対数曲線で見え、少し拡大するとうねる線になり、更に拡大すると階段状になっている。

ただ、注意すべきなのは「全く関係ない」ものだと応用が利かない場合が多いという点だ。
格ゲーでスランプになったので脳トレゲームをやっても応用できる情報が少なく、無意味に終わる可能性が高い。

ひらめきにおいては目的とするものと遠すぎる経験情報ではなく、その間にあるような情報を得ることが有用であるとのことだった。

そんなわけで、当たり前かもしれないけど上達に裏技は無く、実直にやっていくことが必要なんだろうなと思う。

また、本書の中で学校教育に関する事が書かれていた。
様々な試験の裏技的な方法が流行り、本来の目的である学習することがおざなりになっているという点である。
資格試験なんかでも「よく出るところはここ!この単元は捨てて良し!」みたいな事はよく出てくるが、有資格者として動けるよう総合的な知識を習得するという本質をおざなりにし、資格取得だけの為に勉強することは本末転倒になっているのではとは思う。
とはいえ、自分もそんなハックで合格してきてるのでなんとも言えないところ・・・。

2026年3月18日水曜日

キラキラした丁寧な生活からコミュニティの成立に必要なもの


ある本を読んでて、労働は人から暇を奪って社会参加や地域社会への参加の機会を逸するから無くすべきであるという主張があった。

難しいところだけど、そもそも生活できるけど仕事がない状態だと何かを学ぶ目的が無くなるからわざわざ面倒な地域社会への参加なんかしないし、選挙の事も他人事になるから学ばないし(暇つぶしになんとなく関連する動画を観るというレベルを含めて)、ある意味学業も社会から強制されているという点では労働と同一の立場だけど、やらなくていいなら勉強なんかしないと思う。

僕も仕事が関係してなければ今の資格も取ってないし、勉強もしてない。多分。

そうなると強制されて勉強や労働をする人より大抵は視野は広がりづらく、結局は何処かのタイミングで強制的に労働が必要なように人々が自らしていくと思う。

もちろんその本の著者はその問題に自覚的で、欄外にそのへんの考慮すべき箇所が補足として書かれていた。


ただし、そういった思想面の話も良いのだが、そもそも実際的なハード面の方で無理が出てくる。

現代社会の成立する条件が道路や電線、水道などのインフラが安定維持出来るという前提で成り立っている為、労働によって資材を賄うか、外貨を手に入れて輸入しなければならない。それらを産出するための労働が不可欠である。

これを趣味でやる人がやればいいというのは安定的な確保が難しい。国内の基礎を守る労働力が安定しないとなればインフラが不安定になり、国内の産業は滞り、技術しいては国力が衰えていく。

結局のところ、労働は必ず発生し、その労働力の生活を守る労働が必要となり、またその労働力の生活を守る労働が...。

そんな感じでファンベースにより国内の産業を安定的に維持することは不可能に近い為、実際のところ労働を消すことは不可能であるのが前提となるはずである。強制的な労働なしに現代的な国家は成立し得ないと思う。



それはそれとして一旦、話を思想面の方に戻す。

労働を自発性に任せるという事について考えるうち、人が暇から逃れる術として作られた労働が、労働外の生活自体にも溶け込んでいるのではないかと感じる。

丁寧な暮らしに代表されるような、生活を周りから見てキラキラしたモノに演出することは、ある意味で自分に対して労働と同様の作用をもたらす。

つまり”整った暮らし”という枠を作り、そこからはみ出さないように生活を抑制、拡張するというのは、生活にあえて制限をかけてノルマをわかりやすくし作業化する事、つまりは「労働」に変質させる行為である。このように生活を「労働」に変換することで人生の仮目的を仕立てて、暇や退屈から逃れているのだ。

まとめると、人間は自由である事に耐え難い。自由とは結果が問われず、成果を体感しがたい。結局は自由でよいはずの「生活」も「労働」化しないと退屈になり、楽しさを感じられないんじゃないかと思う。


更に、こういった強制的に労働にするという行為が共感を作り上げ、新たなコミュニティを形成するのではないかとも思う。

ゲームにおいても、課金してアバターに手間をかけて装飾したりすることを良いものとする文化がある。(人が手間暇かけた物に課金することは肯定的に捉えるべきだし、僕もアバターを買って使ったりするのですが、一旦その考えを置いておいて...)

VRchatというゲームでも、無課金で設定までツールを使わず即座に使えるアバターの集会はそう無いが、他者が作り、導入に多少の手間がかかるアバターの場合、そのアバターごとの集会というイベントが組まれるケースがある。

この「UnityやBlenderと格闘するという手間」を自ら作り出した労働と考えるならば、その労働が介在することで人々が共感し、それぞれが繋がる心境の変化を起こすのではないか。

もちろんこれ以外にも関わる要素はある。個人の嗜好性の表現による共通意識(同じ趣味を持ってる人だから話しやすそうみたいな)とか、ある程度ゲームに対して投資(時間及び金銭)をしている事で「下手なことはしないだろう」という信頼感の演出など。

その一要素として、コミュニティの成立に一見すると余分にも思える手間が必要なのかも、と思う。


そんなわけで紙の本を読み、コーヒーを啜るというキラキラ生活を無意識に目指しているのかもと思いつつ、スマホで電子漫画の「ヤニねこ」を読んでいる。こないだアニメ化発表されたけど1クール完走出来るんだろうかというド下ネタが叩きつけられる漫画で相当面白い。

2026年3月13日金曜日

インフルエンサーブランドとの線引ってなんだろうという事のメモ

 xを見てたら、某youtuberが始めたブランドについて自分のはインフルエンサーブランドではない旨の配信をした所、炎上したという話題があった。

本人としてはその認識ではなく、品質やデザインにこだわりがあるので、という旨の説明をしていて、これがより炎上してしまっているようだった。


インフルエンサーブランドというと、字面をそのまま捉えれば配信を通じて人気になった人が知名度を利用して始めたブランドを指している。ある種のファンアイテムであるという揶揄があり、マイナスなイメージがある気がする。

いわゆるファッションインフルエンサーの配信を見ていると、特定のファッションアイテム、ファッションについて評価を下す発言をし、視聴者と価値観を共有(もしくは厳選)することで知名度、登録者数を稼いでいることが結構ある。

その知名度を元にアイテムを売り込むという事になるが、これが批判の対象となっているようだ。要するに炎上しているのは「発言の意識の高さに対してアイテムのクオリティが追いついていないのでは」という事のようだった。

※今回に関しては、過去に他のインフルエンサーブランドについて「ただのファンアイテムだろう」と発言をしていたのも燃料になっているようだった。

この問題はあらゆるインフルエンサーが始めたブランドについて回る問題なんだろうなと。批判している方々の納得のいかなさというのは「服自体の良さでは無く、その人物の発言などの人気で売れてるのではないか」という疑念があり、それを認めずに服自体で勝負していて、それが評価されているという認識はどうなんだ、みたいな考えが根底にあるように思う。多分。


この辺はインフルエンサーのバックグラウンドもあるのかなとも思う。元々デザイナーをしていて、そこからYoutubeを始めた人は批判対象になっていないし、インフルエンサーブランドとも呼ばれていない。

その人のファッションに関する物語が見えないから批判されているのかとも思ったけど、ちょっと違う気がする。服の事を色々話しているうちに自分でもやりたくなった、というのはよくあるルートだし自然な感覚ではあると思うが、大抵はその流れで成立したと思われるインフルエンサーブランドも批判されている。

ファッションアイコンになった人がブランドを始めると、そこまで批判は見当たらない。日本でもファッションの有名販売員だった人が古着をサンプリングして作成したアイテムを販売するブランドがあるし、海外だと音楽アーティストがブランドとコラボしたりクリエイティブディレクターになったりする事例があるみたいだし。


多分、ファッションアイテムのこだわりとかではない部分に違いがあるように感じる。その人の発言から出来上がる理想的なファッションが高ければ高いほど、批判にさらされやすくなる。

実際、ファッションブランドをやっている人の本でその人のエピソードを見てると苦労をしてる話はかなり出てくる。それでも続けていった結果としてようやく一部の人がファッション好きに名前が知られるようになるというバックボーンがあるので、それを自分のファッションデザインやブランドの物語以外の人気でもってアイテムを売るというのが反感を買っているのかなと。


今回のケースだと、ある種のその人自身がファッションブランド運営に関して苦労してるのかとかそういう物語に対する納得性が求められている事と、それまでファンを集めてきた発言がどういった質のものなのかという事が問われている気がする。

それが視聴者から見て十分でない場合は「インフルエンサーブランド」として一括りにされてしまうのかなとも思う。

この辺はあまり詳しくないのでとりあえずメモとして。

2026年3月8日日曜日

「物を溜め込む」ことと「ケアと記憶」についての考察

最近はぼんやりと欲しいものを眺めては「欲しいけど使わないよなぁ」と思う日々を過ごしている。
ある時はリーバイス501のリジッドが欲しくなり、何で欲しいんだろうと思い止めて・・・を繰り返す。
ある時は面白そうだと思ったゲームを買おうかなと思ったが、「似たようなゲームがめっちゃ積んでるのになぁ・・・」と思い・・・。

ちなみにリーバイス501に関しては洗濯して縮めて穿いて色落ちして・・・という流れが凄い魅力的に感じるけど、そもそもあんま同じデニムをいつも穿かないし。
デニムの色落ちって何かそそるものがあるなぁと思う。自然な穴開きとかも。
いつか全自動で歩行する足だけのロボットがデニムを穿いて街中を歩き回る世の中が来るんだろうか・・・。

そんな事を考えてたらふと思いついたのでメモ代わりにタイトルの文章を思いついたので以下。


物を得る事(拾う・買う・貰う)で”自分の
物になる”ことは、同時にその瞬間の感情と記憶をその物に付加することになる。

その物をトリガーとして感情と記憶を思い出す為、”自分の物とする”とは”自身の外部化”であるとも言える。

自身以外の所有物ではどうか。例えば近所の家の花壇。街中にある面白いオブジェ。本屋にずっと置いてある書籍。お気に入りの飲食店の家具等...。

それらは準”所有物”とも考えられるが、所有と違うのは基本的にその物を他者がコントロール及び責任を保有している点である。これは物のケアの責任を持つという事になる。

ケアは単なる負担だと感じるが、物を味わう(自らの身体の一部と化す)事が出来る方法とも受け取れる。ここは國分功一郎さんの「浪費」の概念を借りている。その物をケアすることでケアする前と違う物になるよう多少なりコントロールする事でもあり、その瞬間から"自身の所有物"になっていくプロセスの一部となる。

その部分をわずかでも意識する限り、非所有者からは安定的なトリガーと成り得ない。カフェとかの調度品が”落ち着く”という感情のトリガーになり、常連となれば都度眺めることは可能だが、劣化も含めて違うものになっていく可能性はある。(家具を新調したりする可能性もある。)

人間は”自身の物”に対する差異に過敏であると思う。他者がその物との間に入る場合には感情想起や付加される記憶の減少はあると思う。

なので、部屋にゴミを溜める事は、ゴミになる前にそれを消費した結果生じた記憶や感情を置いておく事と同義である。食べたら美味しかったとか、美味しくなかったとか、熱かったとか、流行り物を食べたとか、そういった情報を物に付加する。

拾ってきた場合も同一で、そのゴミ(物)を拾った時の高揚感であったり、記憶(その物に関係のない事、例えば丁度その時気分が良かったとか)を思い起こさせる。

積読もその一部で、書籍の見た目とかタイトルとかから、感情の変化があったり、内容を想像したりする事が出来るので、内容を読まずとも意味を持つ。

では物自体が見えない部分にある場合はトリガーと成り得ないのか。その時は「可能性」として存在し続ける。別の物と関連してその対象が思い出されるのであれば、その物(ゴミであれ本であれ)は所有していると認識する。もし誰かに知らないうちに捨てられて無くなっていても本人が認識していなければ、その物という情報は他の物やそれを得た時の感覚、記憶などの関連で”存在”し続ける。

つまり、物が感情や記憶のトリガーなるのと同時に、物は情報となり、他の情報(感情や記憶)のネットワークを作るのだ。(ただ、トリガーとしての機能は弱くなる為、それ自体が想起させる頻度や強度は低くなる。)

ゴミ屋敷の住人が使用していない過剰な物を捨てるのを拒むのは以上が理由ではないかとも考える。

以上より

・物には「受け取った・消費した段階の情報」を付加されてトリガーとなり、その時点で情報に変化して他の情報(物であった物も含める)との相互ネットワークを作り上げる。

・物はケアすることで相互ネットワークの中で強く自身の記憶や感情と結びつく。

・物は無くなったと認識されると、その物自体はトリガーとなりえないが、即座に情報が消えるわけではなく情報の相互ネットワーク上で残る可能性がある。とはいえ触覚や視覚を伴わない為、トリガーとしての機能は弱くなる。



でも、逆に物を置きすぎると情報の波に飲まれるのではという懸念がある。

SNS中毒だと記憶力が下がるとか弊害が叫ばれているが、物がそこにある限り情報は飛び込んでくる。(その性質と量は段違いかもしれないけど)

逆に、物を集め過ぎるというのはSNS(情報取得)中毒と同列で扱う事も可能ではないか。

前に考えた「浪費」の観点だと行き過ぎた所有は満足を生じるが、物が情報化した場合は満足しない。


じゃあミニマリストが良いかと言うと難しい。SNS等で情報を容易に受け取れる現代では、物のみのミニマル化をしても情報は減らない。むしろ、「私はミニマリストです」と情報発信してSNSに触れている状況が情報の波に飲まれている=物が周囲に溢れているのと同一とも考えられるので。

ではミニマリストを徹底するには情報を遮断しなければならないのでは無いか。情報のミニマル化。入力を極端に減らす。でもそれは難しい。大抵の人は暇と退屈に耐えられない。日々に何らかの変化をもたらさない限り、精神的に追い詰められてしまうのでは。

人間が危険予知の為に情報を集め、グループを作り生活するという性質を持っている個体が生き残っている現状から考えると、その「置いていかれている感」に対して本能的な警告がでていてもおかしくない。

そんな風に人を不安にさせる「置いていかれている感」とは、人は情報の波に飲まれつつも、少しずつその情報により思考を変化させている感覚ではないか。同じ物を見ても時間ごとに僅かな違いを感知するようになっていく。退屈だと思いつつも、その僅かな違いは精神の救いとなっているのではないかと思う。

以上より、ミニマリストになる事でこの情報の波を軽減出来るのではという可能性は難しいと考える根拠である。

とはいえ目的があればまた別なのかもしれない。ある物を買いたいとか、将来の安心を得たいからお金を溜めるとかそういう感じの。


あと、現代におけるミニマリストの対義語はマキシマリストではなく”一般的な我々”という考え方もあると思う。マキシマリストはミニマリストに対して全く流行らないので、皆はどこかで違和感を感じてるんじゃないかと。というのも、「浪費」が難しい世の中なので、自然状態であると物はどんどん増えていくから。

・マキシマリストは好きなものを意識的に集めるが、情報は好きなものに特化する。ミニマリストは好きなものを意識的に減らすが情報は特化せず収集・拡散する。

・”一般的な我々”は自然に物が増える。ミニマリストは意識的に物を減らす。共に情報は特化せず収集・拡散する。



以上のような事を近内悠太さんの著書を読んでて思ったりする日々。だいぶ論理的に怪しいけど、とりあえず今はこんな感じです。

2026年1月16日金曜日

お疲れ祭りから自分へのご褒美


某資格試験を受けて早1ヶ月ほど、ようやく合格通知が到着した。
予定日よりも早くに結果掲載の通知メールが届き、心の準備ができていない状況で「どっちなんだ・・・」と久々に心臓の音が聞こえるくらいに緊張した・・・。

とにかく合格出来たので、節目の記念に革靴を購入することにした。

伊勢丹新宿あたりに行こうかと思っていたが、丸の内に各メーカーの直営店舗があるという事でそちらへ。

とりあえずどこから行こうか迷っていたが、確かJ.M.WESTONのゴルフが凄く使いやすいという話をどこかで耳にしていて、駅からも近いので行ってみる事にした。

噂ではかなりシビアなフィッティングをすると聞いていたので、覚悟してから入店。

早速店員さんに足を計測してもらうと、6(25.5cm)Cウィズが最適ではないかとの事。
普段履いているサイズは6のDウィズ。
めっちゃキツいフィッティングと聞いていたけどそこまで辛い感じもなく、大丈夫なのかなと思い、他のサイズも試させてもらった。
すると、どれもフィット感がゆるく感じたり、逆に極端に強く当たる部分があったりとイマイチ合わない。
再度、店員さんおすすめのサイズを履いてみると、全体的に偏りが無いギュッとした圧迫感。小指と親指の外側に沿って、しっかり押さえてくれている。
足の甲の羽もちゃんと開いているので幅は十分な模様。
紐で締め具合を自在に変えられて、しっかり閉めると強めの圧迫感で、足の裏が少し丸まる感じ。

「痛みが無いくらいで少しキツイくらいだと、馴染んできた時にちょうどよいフィット感になるんですよ。」

噂では万力締めと呼ばれるくらいガッチガチにやってくると聞いていたので、この感覚は意外だった。
それでも、幅が細いので接地した時に両サイドがしっかり押さえてくれるのがホントに心地良い。
革靴に履き慣れてくると、こういう圧迫感が凄く嬉しくて安心出来るような気がする。

形もとてもいい感じで、この野暮ったい感じも上品な感じもいける絶妙なフォルムがカッコいい。

元々、シャンボードのようなボリュームのあるUチップが好きで何度か試着をしていたが、登山靴が起源な事もあってか小さめのサイズでも何かぴったり過ぎて履いていくと緩い感じになりそうだったのが不安で手が出せなかった。
また、RuttShoesのリドリーを愛用しているが、こちらはアメトラ感が強くてオールデンのように意外と合う服装を結構選ぶように感じていた。
多分フレンドトラッドやカジュアルだと足元が重くなりすぎる気がする。
それならと夏に向けてベタにローファーかなぁとジャコメッティあたりを考えていたが、今回ゴルフを即決で購入する事に決めた。


そんなわけでお迎えして早々に試し歩き。
夜にパジャマ用のフリースセットアップに革靴という変態スタイルで出歩く。
スウェットパンツぐらいであれば受け入れてくれそうな度量があるゴルフ君。
しばらく歩いていたら、ちょっと足が痺れてきたのが逆に安心出来た。

今後履き慣らしていったらどんな履き心地になるのか楽しみになってます。

ファッションインフルエンサーの炎上ってつまるところ・・・

  某有名ファッションインフルエンサーさん達が叩かれてるのと、100ワニ炎上には共通点があるんじゃないかと思う。 ◆インフルエンサー:初めは初心者向けに既存の安価なファッションアイテムコーデを定義。後半で文脈を変えて自身のファッションブランド優位な理論へ変更誘導する形と捉えかねな...