最近、國分功一郎氏の「目的への抵抗」を読んで、ふと考えたことの覚書を書いておく。
人は「浪費」ではなく「消費」をしてしまう。
・消費は「流行りの物を買った」という情報を周囲へと広めるために購入する為、物を受け取ったという意識が薄く、満足をしない。その結果として際限無く物を購入したり経験に出費してしまう。
・浪費は「物を余分に買った」「身に合わない体験に出費した」と、合理性を欠いた贅沢をしたという意識を受けるため、気分を満たすことが出来、物自体を使い果たそうとする意識がある。
ちょっと間違ってるかもだけど、以上を踏まえて「マストバイ」について考えてみる。
「これは値段以上の出来だからマストバイ」「これはトレンドを押さえているからマストバイ」
ファッションにおいてよく使われる言葉だが、例えば「5,000円で(ある人が言うには)2万円の価値(があるはず)の物を手に入れた」という情報にお金を出してしていることになる。
この買い方は「流行りの物を買った」「値段以上の物を買った」という情報を元に手に入れているわけだけど、「実際に着用して値段以上の出来であることを実感した」という事になる可能性は低いのではないか。
そもそも個々人の感覚(この場合は満足感)の強弱は非常にわかりづらく、正確に意識できることは稀、というか不可能ではないか。そうなると実感を得ないままで不安な心境に陥り、そのギャップを埋めるために他の購入者の情報を集め始める。
いわば満足感を外部から取り入れるのだ。
「この服を買えて嬉しかった。」「確かに値段以上だと思う。」「トレンドに合致していてかっこいい」
購入”後”にその商品のポジティブな情報を集めがちになるという心理状態はマーケティングを学ぶと”心理的不協和”として出てくる。それらの評判を見て、自分が買ったのは正しいんだと後追いで思い込むようになる。
しかし実際のところ、その満足度を支えるのはその評判だけであり、その服を買っても何かがはっきりと変わるという事は稀である。
わかりやすい指標があればまだ違った話になる。例えば耐久度などは実際に体感し、数値化出来る可能性もある。ただ、数値化出来ず、人間の心理に依っているものである場合はその根拠は非常に不安定だ。
その結果、「その物が値段以上である」という情報に対して実際の効用とのギャップが生まれる。この程度では十分な満足は出来ないと感じることになる。言わば「お得な体験をした」という情報を購入したが、実感が湧かないので欲求不満になる。
これだと実質的にその物自体の価値を目的に買ったわけではないので、その物自体の価値を味わうことなく「お得」という情報だけを取り込み、消費してしまう。SNSなんかで周囲に「これを買った!」みたいな事を書き込んでアピールするなどもその消費活動の一部だ。
以上の実感を得ない消費活動では物が手元にあったとしても、一時的な情報の消費で終わってしまうので気持ちは満たされず、また外部に価値判断を委ねているがゆえに自分自身の価値基準が変わらず、次の「マストバイ」「お得な商品」へと向かう。これでは終わりがない。
じゃあ、ファッションにおいて浪費は可能なんだろうか。
これはかなり難しそうな気がする。ファッションブランドの来歴やどう作られているかを知っていると「こういう歴史、手間がかかったものを持っているんだ」という情報を消費している事になるし、自分の予算以上の物を買っても「いいと思ったから高いけど買っちゃった自分かっこいい」みたいに情報を消費することになるのでは。
でも、高い物を買うと例えばシャツとかでもスレて穴が空いた所をお直ししながら使い続けたりするし、そういう場合は物自体に愛着があって、情報を消費しつつも「もったいないから使い果たしたい」という浪費の側面もでてくるんだろうか・・・。
言わば「この服は自分の体の一部である」という認識に至れば、「浪費」することが可能ではないか。
その為には愛着を持つことであるが、愛着へのルートは「実際に対価を払っている事」「劣化したら直している」事も重要だと思う。
風邪を引いたら薬を飲んだり養生して治すように、肌荒れしたらスキンケアをしたり食生活を見直したりするように、その服自体に対してケアをする思考を巡らせることは一つの道だろう。やはりそのものの利用価値についてより多く考えることは愛着に繋がる。
愛着は対象への認識をを消耗品ではなく耐久財へと変える可能性があり、服がすり減っていく過程を楽しむ事が出来れば、劣化を「味」と捉えられるようになる。
この認識に達するには対価を払っている事も大切になると思う。それは自ら検討した上で採算を考えずにお直しする事(お直しすると大抵元通りにはならず、買ったほうが結果的に安いことが多いので)から生じうる代替不可能性がその物に付与されることで達成されるのではないか。その点で闇雲に「お得」という情報を消費することとは異なっている。
特に「得」であるというワードは価値判断を鈍らせる一因である。それは換金可能性の意識や周囲へのアピールの要素が多分に含まれているからだ。否が応でも物自体ではなく価格に意識が向かってしまう。同じく流行りの「高見え」という言葉もその一つであろう。
以上より、高くて品質は良いが耐久性は低価格帯のものと同じである服は買うべきか。
これは何をその人が重視するかによるし、その人の金銭感覚による。
ただ、消費せず浪費するという観点では、直して使い続ける前提を持つことが、浪費する事に近づける可能性は高くなるのではないか。
ただ、お直しして使うというのも「丁寧なくらし」的な記号として消費されるのでは?という疑いもある。
もっと純粋な「価格」「有用性」「イメージアップ」などの記号を超えたところにあるファッション体験でなければ浪費にたどり着かないだろうと思う。
今のところこのくらいしか思いつかないので、正しいか有用かは別として、また思いついたら修正したりしつつ続けてみようかな・・・と思う。
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