辻村深月「傲慢と善良」を読み終えた。作品としては400頁あって、ミステリー要素も程々に読み応えがある。
毒親などのような、人の「無意識に使われる悪意に近しい行為・言動」の嫌ったらしさがこれでもかと詰め込まれていて、思い当たるものもあり、印象に残った作品ではある。
ただ、僕にとっていまいち腹にしっかり落ちてこないのが、この作品がそもそも恋愛小説である事が原因だと思う。
そもそも僕が相当恋愛に対して非常に疎く、多分彼女が居た全期間は数週間程度しかない。しかもその期間も状況が微妙で、彼女じゃなくね?という説もある。
何回かデートに行って、毎回誘ったら来てくれていたのでこれは、と思い、いざ告白したら、ものすごい申し訳無さそうに「すいません、始めから全く興味が無かったです・・・。」と言われたこともある。(この状況はたまに夢に出てきて、「2秒前までならOKを出した。」等の色々なバリエーションがある。)
ちなみにこの時はショックすぎて、帰りの電車で一緒になった振られた相手と、振られるまでの感想会をオーディオコメンタリー的に話して帰るなどした。あまり詳細は記憶に無い。
あと、告白が成功した1~2週間後に突然対応が冷ややかになって別れを告げられたこともあり、後に蛙化現象がテレビで特集されてた時に「これかー!」と感動するほどの合点がいったこともある。
その他にも自作小説を書く相手が分厚い本を指定して「これを読んだ上で書いてる小説を読んで感想を聞かせてください。」と言われ、なんとか両方とも読み切って感想を次回のデートで話したら振られたり、バーベキュー場で他の知人、友人がいる前でガン詰められたこともあり・・・。
その他にも色々あり、今思えば変な経験ばかりで「恋愛ってマジで面倒くせぇな・・・」と早々にうんざりして諦めてしまった。
なので、恋愛というものに相当なバイアスがある。
もし、ミステリー作品なのに後半から急に恋愛色が出てくるとか、そういう”変異”が起こるとそっと本を閉じてしまうかもしれない・・・。いや、いざ結婚のタイミングで結婚相手に「お前がこれまでの連続殺人の犯人だ!」みたいな事を言う作品なら読みたい。
・・・話を戻すと、恋愛要素全てを人生から除外してしまう事は果たしてどうなのか。貴重な恋愛小説などの作品(音楽なんかはラブソングが多いし、詩も題材としてよく出てくる)を芯から楽しむ機会を損失していることになる。凄くもったいない。
せめて恋愛小説で感動出来るぐらいの経験があればなぁと、今更になって思ったりする。
トップのイラストはcopilotに「恋愛弱者の叫び」をイラストで表現してもらった。
なんかドラゴンボールにこんなシーンあったな。
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