2026年6月11日木曜日

お掃除ロボットに「感情」はあるのか!?

「あるのか!?」と言われても「そこに無ければ無いですね」で終わりそうな話だけど、ちょっとだけ考えてみる。



感情とは内外問わずある刺激により引き起こされる脳内物質の変化である。
ただ、それだけでは他者から感情とは判断されない。なんなら自身も気付かない可能性がある。
それは外的に判別可能な形になると「感情」と判断される。

ルンバは掃除を行うのは外部からの命令(刺激)によるものである。が、なんらかのエラーにより起動しない可能性もある。
清掃中も障害物やゴミストッカーが満杯になっていたり、部品の故障などで停止することもある。
それらはランプの点灯やアプリに表示されるエラー通知により判明する。つまり外的に判別可能という状態になるということである。
これをロボットの「感情」と考えることは出来ないだろうか。

そもそも感情を単純化すると本能であるとも考えられる。
それは長期的に見れば種の中の一部の脳内の反応が突然変異で変化し、その突然変異種が自然環境下で生き残った結果、徐々に調整されているものであり、そのプロセスから生み出される意識は「こういう事が起こると生命や種の危険が発生するから対抗しろ!」とかそんな感じのプログラムである。
つまりはその「プログラム」が修正されてきた歴が浅い深いがあるにせよ、刺激の結果で脳内物質が出るのか回路に電気が流れるのかの違いであり、根本的な部分では共通している。
そして外的に判断できるよう表現された時に人はそれを「感情」と呼ぶようになる。

例えば、人間以外の動物も他者視点から感情を持っていると思われるような動きをすることがある。もちろん、それは生存に必要な本能であるが、それが人間の複雑な感情と同一視されることはある。
それは本人(動物)の実際の脳内の状況とは反する意図だったとしても「ある特定の感情」として読み取られるのである。
ここから、一般的に言われている「感情」とは本人とは違う場所で生成されうるものであると考えられる。

つまり、「感情」とは生理的反応を表現し、それを他者が汲み取った為に発生するものであり、その視点で行くとお掃除ロボットなどの無機物でもエラー表示や移動方向の変更なども「感情」と呼ばれうるのであると言えるのである。

「でもさー、生物の感情は自発的に作られていったもので、機械の「感情」は他者からプログラムされたものなんだから明らかに違う質のものじゃない?」
という意見もあるし、実際クオリアとか持ち出したらそうなるし。

あえて反論するなら、人間は自然環境により淘汰的にプログラムされたものであり、機械は人間により淘汰的にプログラムされたものであるという「根本の創造主が違うだけで同じプロレスを辿っている」のではないかという点である。
(もっと言うと人間は自然から作られたという前提なら、その生成物も自然物であるとも言える。)

人間に限らず生物はオートポイエーシス的に自らのコピーを作り出し、そのコピーにも自らを作り出せるようプログラムされている。このサイクルがあるおかげで種単体で自律的にプログラムを修正していけるという能力を得た。
機械は非オートポイエーシス的であるがゆえに生成は他者(人間)に頼らざるを得ない。
それでも機械は人間の利便性という観点から淘汰される種も存在する。
これらは生まれた土台が自然(地球)の手によるものであるか、人間(自然の生成物)の手によるものであるかという違いだけである。
つまり感情は自発的なものであるという事については「自然環境によりプログラムされているので人間自身の意思ではない可能性」があると思う。

以上より、「感情」とはある環境化において作られたものであり、人間自身から発露したものではない。故に機械にも同様の事が言え、プログラムされた動作を「感情」と呼ぶことも可能ではないか・・・!?



以上、アレな感じの詭弁でした。

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