2025年5月30日金曜日

鼻の形

例えば友人と他愛ない話をしている時や、仕事のお客さんと仕事の話をしている時など、ビジネス・プライベート問わず何となく鼻に注目してしまう。

鼻は顔の中央にあるくせに他の部位と比べると変な形をしている、と思う。

一時期はやった本で「人は顔が9割」とか言うけど、まず見るのは鼻なんじゃないか。鼻が丸かったり、大きかったり、変な形だとそれだけでドマイナスを背負うのではないか。よっぽど整っていないと変な見られ方をするという不憫なパーツだと思う。

そういえば、面接とかのテクニック本で目を見ないで鼻あたりを見るのが良い、みたいな事が書かれていた。その癖が残っているからかもしれない。マナーレベルで刷り込まれていると厄介だなぁ・・・。


そんなわけで、「プチ整形で目を二重にする人が多いけど、実は優先すべきは鼻なんじゃないか・・・」と鼻に全く自信が無い僕が言ってみる。


ちなみに芥川龍之介およびニコライ=ゴーゴリの「鼻」は一切読んだことがないです。

・・・いや、ゴーゴリの「鼻」は”漫☆画太郎”先生の漫画で読んだ限りです。多分あの漫画は本編に全くちなんでないんだろうな、と思ってる。そもそもダンプとか出てなかったっけ。

梅崎春生全集を買った

 タイトルの通り、梅崎春生の全集がネット通販で売っていたので、思わず買ってしまった。

そもそも全集を買うほど好きなのかというと、そこまで熱心なファンでも無く・・・

荻原魚雷氏や山本善行氏の著作で名前を見かけて、そこから「怠惰の美徳」「幻化」を読んだところ、面白い所はちゃんと笑えるし、かと思えば心理描写的なところも淡々としているのに妙に頭に残るという感じがあるので、給料が入ったタイミングで浮かれていたのもあり、一挙に集めてしまおうとしたのだ。

特に梅崎氏は若くして亡くなっていることもあって全集でもそこまで巻数が多くなく、そう高くないのも購入に至った要因の一つである。

買う直前に、ほぼ満杯になった本棚(奥に3列で使っているので一番奥はすごく取りづらい)を見て少し考えたけど、「まあ、買ってから考えよう・・・。」と思考停止してポチった。

今は全力で購入したことを肯定する為にあれこれ考えている。


そもそも、僕自身は小説を読むのが多分苦手で、人物や風景の描写が続くと「この人物はどんな感じなんだろう」とか「背景はああでこうで・・・」やらと考えるうちに脳内映像がごちゃごちゃとしてしまって上手く描写出来ない。

結果、そういうシーンが出るたびにストレスが溜まってしまい、頭に入ってこないことも多い。(ミステリーであれば会話の中から事件に関係ありそうなキーワードを拾い上げることに集中すれば良いので、割と読める。)

なので、普段手に取る本はエッセイや哲学書が圧倒的に多い。

そんな僕でもなんとか読めている小説の類が作者自身(と思われる人物)の心理描写を中心として書かれている私小説だった。

特に私小説で読んでいるのは尾崎一雄、上林暁、梅崎春生の3名。(上林は僕自身の欠陥のせいで十分に読めてはいないけど、それでも風景描写がキレイだと思えるくらいには凄いと感じる。)

様々な物事に対して自ら思考を深めていく過程を読んでいるだけで、なんだかいい話が聞けてるなぁという気分になる。

ただ、私小説に対する批評を読んでみると、割と強めに否定されていたりしてて驚く。

しょうがないじゃん、俺みたいな人は小説が普通に読めないんだから・・・。


ここまで書いていて、同じような理由で小説が苦手な人もいるんじゃないかと思う。

もしかしたら、小説の読み方を間違えている可能性もある。実際はもっとアバウトに人物とか風景とかを想像していたり、X氏はA・B・Cという特徴を持っていて・・・と記号化して考えているとか、そもそも想像しないで何となく・・・とかもあるかもしれない。

読書会に参加する機会があれば、他の人々に聞いてみようと思う。

2025年5月29日木曜日

 熱も無いのに喉が痛く、咳が出る。

体も重く、体調が悪いのは間違いないが体温はむしろ低いくらいだった。

なので体調が悪いと言っても説得力が無く、仕事をしなければならない。

体内の抗体よ、確かに病気に打ち勝つのも大事だけど、やってますアピールも大事ですよと伝えたい。


2025年5月28日水曜日

個人店舗の話

服と本がそれなりに好きで、 時々店員が一人しかいないような小さいセレクトショップやら古本古着屋に行くことがある。

店によっては内装や商品の陳列も凝っていて、「こういう意味があってこの並びなんですよ」みたいな空気感が出てる場合もあり、それを想像するだけでも楽しい。

ある時、何かのネット記事で「個人の書店が最近出てきているけど、置いてある本は大型書店にも揃っている事が多く、あくまで特定の商品を買うのであれば大型書店に行った方が良い。」みたいなことが書かれていた。

確かにそうかもなぁと思いつつ、個人の書店や洋服のセレクトショップ(古着屋も含めて)は単純に商品の力のみではなく、その店の商品を買うという体験と、店員との緩い関係性を結べるという事が購買意欲の増進に絡んでいるように思う。

その商店に置いてあるものが接客している店員のセレクトである(と想像する)ならば、それを買うことは店員のセレクトを肯定することとも考えられるので、店員に対して喜びを提供している(と顧客は思える)。

店員:商品自体の提供と、個人商店での買い物という珍しい経験を提供

顧客:金銭と店舗のセレクトした商品の肯定(ないしセレクトした人自体のセンスの肯定)

小さい店舗であればあるほど「大多数の人が来ていないココの店で買い物をした」という経験は深く印象に残る。

その経験が「自分自身のセンスの独自性」みたいな気持ちに訴えかけ、また来ようという気分にさせる。

ある古着屋が動画で言っていたのは、「小さい店なので、常連さんの顔を浮かべながら似合いそうな服をピックしてます。」という事だったので、店舗側もそういう関係性は意識はしてるんじゃなかろうかと思う。

以上の話はあくまで僕の主観なので根拠は無いけど、多少なりとも影響はしてるんじゃないかと。


そんな感じで、古着屋で気に入って買ったが、よく見るとたばこの跡と思われる穴の空いたジャケットを眺めつつ、「これは味だ・・・味に違いない・・・」と思い込ませようとしている次第。

OMORIの凄いと思う点(「OMORI」ネタバレあり)

僕は「OMORI」というゲームが好きだ。 初めてゲームトレイラーを見たときは「ゆめにっきみたいな感じかなー。」と思ったくらいで、そこまで気にしていなかった。 ただ、steamの評価が圧倒的に好評を維持していたことと、丁度時間が出来た時だったのもありプレイすることにした。 結果、一...